飢餓と風習と嗜好 |
朝起きてすぐに神棚と荒神棚と仏壇に初水を供え、それぞれ榊と松と生花の水を換えることが日々の習慣です。湯が沸くと日本茶を、米が炊けるとご飯を、それぞれ仏壇と荒神棚に供え、神棚には洗米とは別に、お茶とご飯を靖國の神札の前に供えます。飢えや病に苦しまれたであろう我が伯父を含めた御英霊に捧げるのです。でも神棚に湿っぽいのは禁物ですから、さらりと飽くまでも明るく、感謝と勇気を称える念を贈るのです。
5日のブログで「日本人だってほかに食べるものがなければ亀でも何でも食べたでしょう」と書きました。いや亀どころか犬だって好奇心から食べた記録はあるし、飢えに飢えればそれが人間の肉だって食べたという記録さえ残されているのです。我々現代人には考えられないような、想像を絶する飢餓を、日本人に限らず世界中の人々の祖先が経験してきた筈なのです。そして現在でも、世界のどこかでは飢えて死んでゆく子供たちだって大勢居るのです。
チャールズ・チャプリンの『黄金狂時代』で、山中の小屋でチャプリンが飢えた金鉱採掘者に食べられそうになって逃げまどう姿や、飢えたチャプリンが皿に乗せた靴をフォークとナイフで食べようと悪戦苦闘する姿を観て笑い転げたことがあっても、今にして想えばチャプリンは本当の飢えを知っていたからこそ、その経験を発想にしてユーモアで包み込むことが出来たのだろうと思うのです。内地の日本人は戦中よりも敗戦後の飢えに苦しんだそうです。最期まで法を守った裁判官が一人栄養失調で死んだというのは有名な話です。微々たる配給米では生きていかれず、日本人はみな法を犯してヤミ米などの食糧を求めたのでしょう。飢えは人間を凶暴にします。戦勝国民を名乗った第三国人と多くの日本人が戦い、GHQと警察官と共に制圧することでようやく治安を維持しました。一億総愚連隊時代だったのです。それでも人肉食など我が国になかったのでした。
世界中に人肉食の記録は残されています。我が国にもあるでしょう。しかしそれは極端な飢餓によるものだけです。また発展途上国の中には風習として、あるいは宗教的な儀礼としての人肉食が認められる地域もあります。だが、世界がいかに広しと云えども、<嗜好としての人肉食、人肉を売る肉屋>が近代まで続いていた国は、『中華人民共和国』しかないのです。