独白 3 |
江戸時代、越後の禅僧である良寛和尚はある家の祝いの席に招かれ、なにか良い言葉を書いてほしいと請われます。すると和尚は大家族が見守るなかでこう記します。『父が死に息子が死んで孫が死ぬ』祝いの席で唖然としている家族たちを見まわし、和尚は云ったそうです。順番に死んでゆけることほど幸せなことはないのです、と。
湯川遥名さんが殺害されたことを報らされた父親は取材陣に「ご迷惑をおかけしました」と謝罪したといいます。息子が非道な殺され方をしてさぞかし悲しいだろうに、そのうえ遺体写真が世界中で閲覧されてどれほど切なかろうか。親より先に死ぬことほどの親不孝はないでしょう、にもかかわらず父親はそれでもなお世界中を騒がせた責任と日本政府や社会への迷惑を謝罪していらっしゃる。湯川氏がどんな目的で渡航したか殺害が事実であるかどうかはともかく、このメンタリティを外国人は理解できないでしょうけど、ああ日本人だなあ、と私は心から思うのです。同情を禁じ得ません。
ところで17日午後一に『メディアの人権意識とは?』と題する一文を投稿し、中で小野正嗣と西加奈子という<朝鮮同和>に関して述べました。団体に関しては小学館のみです。すると夕刻、勤務している職場の玄関先にバン(交番が目の前なのにバカだから一方通行を逆送)が停車し、対向車に叱られて慌てて方向転換、そしてそのまま3時間以上こちらを伺っていました。不審車輌で警察に通報とも思いましたが、商店街なので様子を見ておりましたところ、明らかにトウシロウですし乗車していたのは熟年男女、男の耳にはイヤホン、おお懐かしい!また始めたか!。気づくと裏口にも別の一台が張り込み。なるほどね。22日には『独白 1』を投稿し、2000年の殺人未遂事件に関して述べました。24日には『イスラム国人質事件』を投稿して随分顰蹙を買ったようで、朝鮮人の操る帰化人奴隷たちは勢いづいたらしく、26日の雨降りに停めていた自転車のタイヤをまたもや何者かにパンクさせられる被害に遭いました。
顰蹙を表明してくれたメディアに向けて27日『独白2 メディアへ』を投稿すると(28日未明に『イスラム国へ』を投稿)翌28日の讀賣新聞の朝刊コラムは、毎朝楽しみにしている方を押しのけて別人による「中国人旅行者を熱烈歓迎」の文字を刻み、一面をつかった創価学会の「核兵器のない世界なんて、ただの夢でしょうか」と、まるで平和主義教団であるかと見まがうような宣伝が掲載されました。あのねえ讀賣新聞さん、私たちは日本の保守本流の新聞を購読しているんでカルト組織の横車にいちいち神経使わないで戴けませんか。それに学会さん、その問いかけは貴殿らの宗主国であり核弾頭を搭載したミサイルを我が国に向けている中国の『人民日報』にでも掲載するべきでしょう。
26、28の夕刻にはお馴染み讀賣夕刊コラム『寸評』内の創価学会員不可触賎民がチョンコづいた挑発記事を書いておりましたが、不思議ですねえ。パンクさせたのがどんな集団なのか知りませんが、尾行・盗聴・盗撮・デマの流布やら自転車や自動車のパンク、動物死体の投げ込み、玄関先に脱糞されるとかほとんど同じ悪質被害に遭っている人々に共通しているのが学会批判だとは、ホント不思議なんですよねぇ。日本人はまずそういった陰湿な犯罪を発想する回路がありませんし。