枡添都知事とは如何なるものか |
そのむかし、左翼全盛のマスコミで『朝まで生テレビ』(テレ朝‘87年~)が果たした役割は大きかった。朝日系にもかかわらず保守系の論客から現役の右翼人まで登場させ、文化人(当時文化人と呼ばれる者のほとんどが左翼か左翼的思想に偏っていた)と激論を闘わせる。司会の田原総一郎を囲むように御意見番のごとく大島渚と野坂昭如が角にデンと座り、煙草を喫い酒を呑みながら、左右に捉われず一定のレベルに達していない主張や凡庸なパネリストを叩き伏せる演出には喝采を送ったものだった。お二人とも左派系で思想信条にこそ賛成できなかったが、この世代の人びとには善悪の基準がしっかり保たれていたような気がする。(敬称略)
そんな中で東大助教授にして国際政治学者の枡添要一の左派に対する緻密な論理的攻撃には唸らされたものだ。「東大出で本当に頭の良い最後の世代ではないだろうか」と賞賛したのも私ひとりではあるまい。だがそれもしばらくの間だった。やがてニヤけることが多くなり、オチャラケが増えていく。テレビ擦れした顔を時折見かけると、保守系政治学ではない別な目的があるのかなと、ふと感じたこともある。この頃『朝生』で人気が上がっていくと後に放送開始される同局の『TVタックル』にも登場するようになり、段階的に政治家になっていくパターンがつくられた。枡添要一はその先駆者の一人である。そこまでは良かった。
やがて枡添は自民党参議員として厚労相にまで抜擢される。党内上層部とのあいだの軋轢が水面下で噂されたとおり、自民党が下野するとすかさず新党を立ち上げた。ここからが大きなカン違いの始まりである。支持者は『自民党の枡添』を支持したのであって『枡添そのもの』を支持していたのではないからである。新党の支持率がまったく上がらないと見るや、都知事の猪瀬直樹が惨めに辞任すると、創価学会公明党の積極支援と自民党の消極支援を受けて都知事に立候補し、当選する。東京都知事という、そこらへんの大臣など吹っ飛ぶほど絶大な権力を手中に治めて、彼は得意絶頂だったに違いない。私は彼に投票しませんでしたがね。
文春による一連の公金に関する調査報道はほとんどその間のことだろう。『政治屋』と『政党を持つこと』が如何に美味しいことかを如実に物語っている。と同時に、その枡添が「なんでもかんでも税金で始末できる」という経済的絶頂の末に、それまで懐に温めていた考えを実行に移した。それが訪韓して朴大統領に媚びたうえで、市ヶ谷の都有地を、熱望されていた保育所ではなく、韓国学園に貸与するという媚韓外交であった。ここがおそらくうぬぼれの最高潮であったろう。そしてそれまでのゴマカし悪事はすべて露見したのである。枡添や猪瀬など政治屋でも、芸能界でも作家でも、朝鮮カルトである創価学会の積極支援を受ける者にロクな奴はいないのだ。
何だか猪瀬が枡添を批難、つまり目糞が鼻糞を罵っているそうな。おもしろい。猪瀬というのは他人の粗捜しには長けた≪長吏根性≫で部下には向いているが、間違ってもリーダーの器ではない。リーダーに向いているかに見えたらしいお方も所詮は民族性を隠せなかったというわけだが、両者に共通しているのは『遠慮の無さ』と『限度なき欲望』そのものなのだから。
自由民主党は、すでに汚泥にまみれてしまった東京五輪のイメージを覆せるような人物を、つぎの都知事候補に口説いてほしい。成りたがる者や、勝てそうな者ではなく、≪都知事にさせたい人物≫を候補に絞って戴きたいのである。