都知事選、自民はどこへ2 |
つねに国家国民のことを考えていたら確固たる政治主張を持つに至った。その思想には絶対の自信がある。ぜひそれを社会に問うてみたい。ならば政治家を目指さねばならない。知人たちの集まりでその思想を説明すると、まったく別な考え方をする者から激烈に反論された。しかし知人の中によく似た考え方をする人物もいた。細部に違いがあるものの基本的な思想信条に大差はない。組もうではないか。政党の始まりである。
どうやら政党政治を勘違いされているお偉方がいるようだ。日本という国家のために、日本人という国民のために自由民主党がいま絶対に必要だと私は考えているが、自民党のための日本国家ではないのである。ましてや国会議員や都議会議員のためにわれわれが存在しているわけでは断じてない。『組織のルール』とは何ぞや。順序云々に関して云っていることはよく解る。組織にはルールが必要なこともよく解っている。しかし個々の思想と政治戦略を持っている者たちの集合体が自由民主党という組織なのである。順序を間違えてはならない。
政治家は一人ひとりが大将の器であるべきだ。大将という自意識のなかでもそれぞれキャリアと能力と器に大きな差があるゆえに、そこで初めて上下関係が生まれるのである。寄らば大樹の影とばかりに自民党から議員に成りたがる者に政治家としての器量なぞ、ほぼ望めまい。自民党は自前で勝てる候補がすでに立っていながら何をもたついているのか。組織は大事だが、それ以上に個の政治的資質が問われ、組織から逸脱することがあってこその政治家ではないか。であればこそわれわれは石原慎太郎を支持していたのだ。
自由民主党はその名に恥じぬよう、速やかに公認するなり推薦するなり、最低限、党内での分裂選挙に留めるべきである。