皇室のパワーとバリア |
皇居にはエネルギーが充満しているとある霊能者から伺ったことがある。近年流行のパワースポット巡りでも、皇居はおよそ上位にランクインされている。きっと何かがあるのだろう、何かは解らないが。
長い歴史をたどれば朝廷の中ではさまざまな出来事があったようだけれど、神話の時代から天皇陛下を攻め滅ぼそうとした者はない。たとえば一見大和朝廷と対立したかに見える東北の蝦夷族であっても、対立したのは朝廷から東北に派遣された国司自身の専横に対してであって、天皇そのものに対してではない。
のちの時代に最強の軍事力を誇った多くの武士団であっても、あるいはもっと下って戦国の世になり天下を睥睨した信長でも秀吉でも家康でも、かならず大将軍として朝廷の認可を得る方針から逸脱してはいない。不思議なことだと思う。
被差別部落出身の中上健二という作家が生前、ヒエラルキーの頂点に天皇がいるから自分たちは最下層に組み込まれているという解放同盟の論理のもとに伊勢神宮の深部を内覧したとき、「何かとてつもないものを見た」というような感想を抱き、天皇崇敬に転向したという逸話があった。かと思えば「天皇制があるかぎり日本に民主主義は根付かない。天皇を京都に帰すべきだ」と保守とされていた落合信彦は主張した。「さまなどの皇室に対する過剰な敬語をやめろ」とも書いていた。
昨日、秋篠宮眞子さまがご婚約なされた。ニュースでは車で通る眞子さまを沿道から見ていた方が興奮を抑えつつ言った。「ありがたい」と。別の女性は嬉しそうに「ご利益をいただけそう」とも語った。これなんだろうな、と思う。何かは解らないけれど、何かがあると、誰に教えられたわけでもないのにみな心中に感じている。ふつうの日本人はみな、その何かを本質的にキャッチしているのだろう。
皇室には強力なバリアがあるのだと思う。それも前代未聞の、誰ひとり侵すことの出来ぬバリアなのだ。そして天皇陛下は「君臨すれども統治せ」ぬが、皇室の秘めたるパワーはつねに全国民に向けて放射されているのである、昼も夜も。それは皇統の源、天照大御神のエネルギーそのものなのではないか。
芥川が「蜘蛛の糸」で釈尊によって地獄に糸を垂らさせたように、糸にせよ、索にせよ、あるいは光にせよ、神仏は苦しみもがく衆生に手を差し伸べている。それを察知できるかできぬかで道が別れるのかも知れない。ひとはみな、病に苦しみ、貧しさに泣き、不運を呪いながらも生きている。それでも何ものかから照射された光が、もしくは垂らし示された索が、目のまえに来たなら迷わずにつかむことだ。そして、つかんで離さぬことだ。