喜びと怒りと落胆 日々これなり… |
10月18日付『北か、南か』と題した記事のなかで、韓国という南朝鮮が「間借りなりにも民主主義~」と表現したことについて、親しい友人から字が間違っているから修正したほうがいいと指摘があった。
間違えていることを知っていたから小生は答えた。キーを打ち込んだらたまたま「間借りなりにも」が出たから、「曲がりなりにも」が本当なのは知っていたけれど、自分で言うのもなんですが、「間借り」があまりにも言い得て妙だからそのまま使ったのだと。
本来は独裁政権がお似合いの民族性であるあの国の民主主義など借り物もいいところだからだ。しかしながらよくよく考えてみれば、為政者が国民の大多数を占める反日主義者の顔色ばかり窺ってばかりいるというのも、こりゃホントに民主主義なのかも知れないけれど、と。友人は嗤った。
トランプ・アメリカ大統領の訪日歓迎の成功を祝ってたまには明るく楽しい記事にしようと思っていたのだが、大統領があの国に行った途端ふたたび怒りとウンザリ感に苛まれてしまった。晩餐会に竹島の独島エビだと。慰安婦が出席だと。あの民族にだって知能が高い者はいるのだろうが、精神性の高い者はまず居ないと診るべきなのだ。
あるのは強い者に媚びへつらう事大主義に始まって極めて幼稚な自己主張と陰湿な嫌がらせ根性。日本にもこれだけ多くの在日と帰化人がいるのだから、日本人はいいかげん各地各所で怒って見せるべきだろう。黙っていればつけ上がるだけなのである。
ところがマスゴミの中にアメリカが北鮮を挑発しているという論調が出始めているのだからまったく驚かされる。それって北朝鮮が最近始めた主張そのものではないか。だれが日本人をさらって行ったのか、だれが核を持ったのか、だれがミサイルを撃ち込みつづけているのか、だれが日本とアメリカを核で脅しているのか、だれが、いったいだれを殺そうとしているのか、メディアはもういちど始めから洗い出せ。
冒頭の間借りという誤字の話にもどそう。そんなわけで学生・生徒諸君(が読んでいるとは思えないが)は、点が下がるから小生の書く漢字を真に受けてはいけません。20年まえに小説を書き始めたころ、バーのカウンターで偶然に出会った(事実は偶然ではなかったが)朝日新聞社の記者に、応募して落選した処女作を読んで頂き、感想を伺ったことがある。
東大からニューヨーク州立大出身で小生よりずっと年上のその方は、むさぼるように一気に原稿に目を通すと、ふたたび冒頭にもどり、こんどは一言一句を見逃さぬように長い時間じっくりと読み込んでゆき、最後に「凄い」とつぶやいた。
「本当に?」と小生はおののきながらも訊ねた。
原稿から目をそらさぬまま静かにうなずき、彼は言った。
「おれたち文法を知っている者には絶対に書けない文体だ」
間
「…………」