創価学会 負の歴史 |
数限りなく陰湿・悪質な罪を犯してきた業を背負い、今や廃人と化してもなお苦しみもがきつつ生きながらえている池田大作が、表舞台に登場しなくなって8年が過ぎた。そんな折も折り、『文藝春秋』が久しぶりに創価学会情報の掲載に踏み切った。4月号の≪創価学会「極秘資料」が暴く負の歴史≫と題された記事で、執筆者はジャーナリストの高橋篤史氏である。早速読んでみて興味深い点が多々あるので抜粋して紹介しておきたい。
今回記事の冒頭では、池田が姿を現さなくなってから創価学会内部で主流派と反主流派のあいだの権力闘争が公然と行われ、反対派の左遷や更迭、除名や出禁が相次いでいる混乱状態が記されている。記事は前身である創価教育学会の初代会長牧口常三郎まで遡り、この創価学会というカルト教団が、果たして本当に平和を求めてきた宗教団体であったのか否かを学会員をも含めた読者たちに問うているのである。
その判断材料とすべく、じつは学会施設では「歴史を歪める資料」として都合のいい一部以外は封印されてきた機関紙がある。戦前・戦時中に発行されていたもので、そのコピーを著者が入手したことから核心に迫っていく記事となっている。以下は粗方記事からの引用であるが、「」内は記事そのものからの直接引用であり、()は小生である。
牧口らが「特高警察やその元締めである内務省警保局、さらに共産党取り締まりに辣腕を揮」った大物思想検事と緊密な連絡を取り合っていた事実を明かし、「わが国は大東亜戦争完遂、世界新秩序建設のために、一億国民血みどろになって、獅子奮迅の勇猛戦を行っている」などと、太平洋戦争突入後に幹部から、今でも信濃町から聞こえて来そうなフレーズの「発言が次々と飛び出した」ことも明かしている。
「それでも(学会が国から)弾圧を受けたのは他の宗教・宗派を邪宗として認めない日蓮正宗の原理主義が行き過ぎたから」で、牧口は伊勢の神宮大麻などを撤去して焼却することを行わせ、また「天皇も含め国を挙げて日蓮正宗に帰依すべきとの牧口の考えは国家神道とは相容れず、それがため投獄され(のち獄死)たのが実相」であり、ここがいちばん肝心な部分なのだが、投獄され獄死したのは「決して反戦・平和を唱えたからではない」のであった。
戦後、二代目会長の戸田城聖は軍隊式組織論を導入、学会は急角度で拡大し、日蓮正宗の反対を押し切って宗教法人化を目指し、「池田ら青年部メンバーは宗門の老僧を暴力的に吊るし上げる事件を五二年に起こした」。また、折伏で貧・病・争に悩む下層階級を取り込み組織を膨張させてきた学会は、池田が三代目会長に就任して十年が経った年、藤原弘達らへの「言論出版妨害事件を引き起こして激しい社会的反発を招いた」。
「そこでとったのが学生やインテリ層を取り込もうとするソフト路線」であり、「すでに過去の人となっていた牧口の獄死を反戦・平和の象徴的出来事にすり替え、かわりに真実を封印したのである」。嘘も百回吐けば事実になると豪語し、他人を中傷し騙し続けてきた池田はずうずうしく迫力があり、やはり頭が切れたのだろう。やがてその「プロパガンダは成功」し、「トインビーや周恩来ら各国要人との会談を次々実現」し、「反戦・平和の団体」という嘘の「表看板は大いにものを言った」のだった。
「しかし、創価学会が真に過去から連綿と受け継いできたのは独善的で閉鎖的、そして不寛容な組織体質だ」とし、対共産党では盗聴が明るみになって池田が謝罪し、「日蓮正宗との宗門戦争でも盗聴や尾行は秘密部隊である創価班広宣部を中心に広く行なわれていた」ことはよく知られた事実だ。先日TBSで坂上忍氏が盗聴事件の特番をやっていたが、そのスポンサーが聖教新聞(創価学会)であり、そこがCMを流しているというのが如何にブラックなジョークであるかお解かり戴けると思う。
それも創価学会なくして経営が立ち行かない毎日新聞の系列がTBSなのである。前にも記したが集団ストーカーによるあり得もしないデマで誹謗・中傷のお笑いやドラマが圧倒的に多かったのがこことフジテレビであり、どちらも学会員の多さでは他局に引けをとらない局なのである。と、いくら言っても、勉強が出来たところで「思考停止」状態の学会員には理解できまい。右でも左でも、心ある人びとは今月の『文藝春秋』に目を通されたし。「過去を封印して都合よく歴史を語り、異論を一切許さない不寛容な組織」である創価学会は「すでに崩れ落ち始めている」のだ。