国会で語られぬ祖国の危機 |
これは個人的な持論なのだけど、家庭内に2トップはありえないと思っている。夫でも妻でも、どちらかが表面に出たらどちらかは内側を固めるものではないのか。それは古い考え方なのかも知れない。しかし亭主があっちへ行ってああ言ってるのに女房がこっちに来てこう言っていたのでは、夫婦は不仲で家庭はバラバラだと世間に公表しているに等しい。ましてやそれが一国の政治家夫妻であるならばだ。
なるほど現代社会では安倍総理夫妻は理想の夫婦像なのかも知れない。夫は夫、妻は妻、生まれも育ちも生き方も考え方もちがい、だからこそ愛だけで結ばれている、という少女漫画のような、女性が喜びそうな夫婦像なのだろう。たしかに安倍総理が昭恵夫人をかばい、腹を立てて反論する姿を見るにつけ、総理が夫人を本当に大切にしていることはひしひしと伝わってくる。愛嬌のある夫人だから可愛いくて仕方ないのかも知れない。で、夫人はその懐から出ては余計なことをし、また出ては余計なことを喋りと各方面で物議を醸している。一言でいうなら自重させるべきだ。私なら通信機器を取り上げて外出を禁止する。事は国の運命がかかっている。
私は安倍総理の絶対信者ではないし、その方策をすべて支持しているわけでもない。以前、亀井静香先生が指摘したようにご本人は良いひとだが取り巻きが悪すぎるというのは事実であるし、今回発表した自民党の憲法改正案にしても9条の2項を残すなら、国のために命をかけている自衛隊員に軍人としての名誉を与えるにはほど遠い案に落ち着いてしまう。だが「始めから公明党案に合わせるなら自民党としては如何か」と声を挙げた次期総理候補の石破さんも「あとから妥協するなら分かるけど」とは情けない、同んなじゃないか。
それでも安倍総理はこれまでの首相のなかでは四方八方に目を凝らして群を抜いた動きを見せているとは思えないだろうか。強いリーダーシップを発揮し、他国の多くの首脳陣からも一定のレベルの信頼と評価を得ていると思える。それが証拠に習近平や文在寅や金正恩という反日勢力からあれほど嫌われている。
そこで、まだやっているらしい森友問題。米朝対話に於けるトランプ大統領の方針一つで日本が孤立を余儀なくされることも想定されるこの時期に、野党はいつまでこんなことをやっているのだろう。不思議な神経である。たしかに財務省の文書書き換え自体は大問題だ。公文書の書き換えが官僚の(もしくは政治家の)意思で書き換えられるなら、近隣諸国に見られる独裁政権の反日国家と同じになってしまうからである。
だけど、だけどだ。本当に文書を書き換える必要があったのかどうかそのものを、私は疑っているのである。正直言って私と同年代の官僚の状況観察眼と人物観察眼を私はあまり信じていない。言い過ぎならば、少なくとも鵜吞みにはしていない。それは後述する。
昨年、森友問題が発覚したとき、マスコミでもネットでも保守派の多くは(私も含めて)籠池という人物を擁護した。だが安倍総理と籠池との言い分に食い違いが生じはじめたとき、こいつはペテン師だと私は気づいた。簡単なことだ。当時のブログでも指摘したが、籠池の胸からブルーリボンバッチが外されていたからである。
我々はスーツの時かならずブルーリボンバッチを胸に付けている。朝鮮人に対してさらっていった日本人を返せ!という主張を表すためのバッチであり、本来なら自民党から共産党まですべての議員や公務員や一般民衆まで、被害者家族の気持を思えるなら日本人みなが付けるべきバッチなのだ。安倍さんや自民党を支持するかしないか、仲がいいか悪いか、右派か左派かなど全く関係ないバッチなのである。
籠池がそれを外したのは安倍さんとこれからやり合うという宣言であるわけで、それ一つ見てもそれまでの彼の右派的思想や信条が借り物だったという証拠であり、単なる、どこにでもゴロゴロいる、ただ権力側に立って甘い汁を吸いたがっていただけの、タチの悪い詐欺師だったということなのだ。彼の偽りの愛国心や学校建設はカネと名誉欲のためだけだったのである。総理夫妻、殊に夫人は巧く嵌められたのだろう。たいがい想像がつくであろうに、官庁にお願いに出向いた最初から隠しマイクで録音していたような籠池なる者から、野党は拘置所で何を聞こうとしたのか。また作り話を聞くためか。
おそらく財務省官僚は、政治家の名前が出ている個所をすべて書き換えたのだろう。マスコミが全体を見ずにそこだけを突いて、書きたて騒ぎ立てて結論付けてくることが明白だからである。でもそこで状況と人物に対する観察眼が必要になるのだ。籠池がただ一方的に大きな声で要請しただけの話を文書化し、そして元もと大した問題のなかった文書を勝手に危険だと判断し、政治家たちに対して忖度したというのが経緯ではないのか。トップの意向を勝手に忖度するのが日本では部下の仕事であるからだ。忖度そのものが良いか悪いかは今後の問題として。
一方の問題児であるマスコミも、言論には言論表現で反論するのが民主主義社会の原則であることくらい誰でも知っているが、その反論をする場を持たない人びとのためにこそ新聞・テレビ・雑誌というマスコミが存在する本来意義であるにも関わらず、中には不正に加担し、デマを垂れ流し、民衆の意識誘導で洗脳してしまおうという者たちも多く、その狡猾さに脅えたからこそ官僚たちは先手を打ったつもりで改ざんしたのだろう。
いずれにしても今回の書き換え問題は誰かが責任を取らねばならないだろう。私は反共産主義・反社会主義だけれど、日本共産党は国の為にはならないが人の為になっても恩を着せずに役立っているので党名を変えて存続して行くべきだと考えているが、内閣総辞職を叫ぶ志位さんに政権担当能力はないのだから、もし麻生財務大臣が責任を取らされるようなら、引き続き副総理としてマイク・ペンス米副大統領との関係をより密にするため頑張ってもらいたいと思っている。