左右対立のその陰で |
杉田水脈という政治家が各界から十字砲火を浴びているそうな。なんでも性的少数者には「生産性がない」と主張したのだというから批判されるのもやむをえまい。乱暴なのである。この議員が女性であったことを小生は今回の件で初めて知ったのだけど、水脈と書いて「みお」と読むわけですか、なるほどね。だが、たとえ右であったとしても他人を傷つけるような言論には賛成できない。
ところが全文を読んでみると主張としては至極真っ当な文章で、たしかに一見差別的とも読めるし少数者の気持ちを傷つけているかも知れないが、50年先100年先を念頭に政策を推し進めていかなければならない政治家としては一個の屹立した主張ではないだろうか。くり返すが言葉の選び方が乱暴に過ぎるけど、政治家であればこそあってもいい主張なのだ。性同一性障害は別として、個人の性的嗜好にまでいちいち権利を履かせる必要性など認められないのである。組織的ハラスメント小説の書評で登場人物を猛批判してしまうほどズレたバカに、個人の自由は認められてもオカマを威張られたって困るのだ。マグロ男である小生がホモ告白の創価ロバート・キャンベルに言っておく。何が日本文化だ、笑わせるな。
ところで急用で今年も一日遅れの靖国神社となってしまったが、参拝者もそれほど多くなく、日差しとともに流れる風もつよく、静かに英霊の心を偲ぶにはかえって清々しい昇殿参拝を終えることが出来たのかも知れない。私はそういった趣旨で年に数回靖国に参らせて戴いているのだが、そうではないのだとテレビでまんが右翼が宣うていた。靖国は英霊を顕彰するために建てられたのであり追悼や慰霊をするための施設ではないとのことだが、間口を広げこそすれ狭めるような主張はただ他者を否定して見せて目立ち飯を食い続けていきたいだけで、靖国の未来など何も考えていない証拠だろう。
いつの戦争にせよ猛々しく戦い、華々しく逝った英霊はもちろん尊敬できるけれど、痛みや苦しみに泣きながら死んでいった人びとのほうに私の心の比重は少しばかり動いてしまう。ほんとうに格好の良いひとなんてそんなに多くはないからだ。この国はこれから戦いに巻き込まれるかも知れない。電車に乗ればうら若きむすめが他人の目も気にせず化粧をし、髪を梳かした指先をつまんで通路にポイ。と思えばつぎの瞬間には鼻くそをほじり出したのでこれはもう怒るよりお笑いの世界である。お笑いといえば自分を馬鹿に見せて笑いを取るはずの芸人が他人を辱めて悦に入っているこのバカげた風潮。朝鮮思考がはびこった礼儀知らずで弱い者虐めのくだらぬ世の中を、いったいどいつが始めたのか。そのうちみんな本性が出る。楽しみだ。