壊されゆく文化 |
自国の選手がゴールを目前にしてデッドヒートを演じているまさにその時、応援団である筈のボランティアたちが選手に国旗を持たせたいという〈一方的な思い〉ただそれだけのために、雨に濡れて重くなった国旗を持たせようとした結果、バランスを崩してペースを乱された選手はとうとう優勝を逃してしまった…。これぞシナ人と言うべきでしょう。こんな得手勝手な思い込みだけで行動するような連中が、これから日本を席巻しようとしているのが現在です。
朝鮮人は女を殴るとか蹴るとかいうのは昔から言われていたし時々ネットの記事にもお目にかかるのだけど、本当だろうかと過去に朝鮮人たちと近しく付き合いのあった私としては首をひねってしまうのです。基本的にかれらの中に火病に侵され、怒る時でもないのに突然怒りだす者がいるのは事実だし、強姦事件が多発するのも、自分より弱い者への憎しみが強いのも事実なのだけど、あの人たちって平均的に女には優しいように感じますね。もちろん本人にも気づいていない根底にある心理、日本人に対する支配欲求はべつなのですが。
少なくとも私は、朝鮮人が女に手を上げるのをこの目で見たことがない。自分の彼女を引っぱたいた場面を一度だけ見たことがあるけれど、それは誰かの真似をしたのが見え見えで、どこかぎこちなかった。私個人は軍隊教育を受けた父親の男尊女卑の家庭に育っているし、私自身が父親譲りの思考でしかもそれを徹底していますから、現代社会では決して褒められたことではないだろうけど自分の家族には手をあげたことがままあります。しかし女性と現代人には理解できないでしょうが、男尊女卑であるからこそ女は男が守るものであり、女を先に帰し、先に女に食事させ、何かがあれば女を先に逃がすわけです。それが男の役割であり、それが家長としての務めでもあるからです。
ところが日本民族が男系社会であったというのも既に過去形で表現せざるを得なくなったようです。この国でも古くは渡来系貴族がもたらしたのであろう風習を真似た階層もあったようだけど、基本的には皇統がそうであるように男系男子が世継ぎであり家庭も思考も男系社会でした。しかし対する朝鮮民族は夫婦別姓、子供は母親に育てられるという文化を持つ母系社会です。先ほど彼らが女には優しいように感じると書いたのも、母親への感情を根底にした「女サマ」という観念があるのではないかと疑えるのです。それはマザーコンプレックスに直結しているようで、オモニ、オモニと母親に頭が上がらない者が多いですね。
ある拙い小説を眺めていたら、惚れた女に何かを買ってやるときに母親の顔を想像するのだそうで、それは実際心理的には母親に買ってやっているわけで、これはもう理解し難い、ある意味特殊で複雑な思考回路としか思えませんでした。惚れた女と自分を産んだ母親、それがどこでどんな神経回路でいったいどう繋がるのか私には皆目見当がつかないのですが、それこそ致命的な民族性もしくは種族性の違いなのではないかと疑ってしまえるわけです。もしかしたらそういった感情の反動として、男女を問わず他者に対する攻撃欲求が強姦や輪姦、虐待や弄び、あるいは縛りつけておいて殴り続ける手法を好むといった性癖に繋がる、極めてサディスティックなメンタリティを隠し持っているのでしょう。もちろん集団ストーカー・組織ハラスメントなど典型的な例です。
それと朝鮮人を見ているとみんながみんなとは言いませんが、一人の女だけを愛せない人が多いですね。われわれの親の世代はたとえば政治家や事業主なら妾の一人や二人を囲っていたし、女遊びは男の甲斐性だと言い張れる時代でもあったのですが、男性社会であるがゆえに堂々とした日本人のそれと朝鮮人のそれとはちょっと感覚が違うように感じてならないのです。彼らの場合、つい浮気心を起こすというようなものではなく、次から次へとモノにしていかなければ気が済まない、という感じと言えばいいのでしょうか。離婚もせずに取っ換え引っ換え、隠れて次から次へと男女ともにそういう朝鮮人が多いのは事実です。セックスだけが目当てで、日本人を一度でも本気で愛したことがあるのだろうかと疑ってしまうほどなのです。
ところで先ほどマザコンの話が出たから話しておきますが、マザコンには二通りあるようで、貧しかったとか片親だったとかの育った環境が原因で母親の愛情に飢えてその幻影を追い求めているマザコンタイプが、先ほど挙げた一人の女だけを愛せなくなるようですね。もう一つは母親が強くて、家庭内で実権つまり資産を握っているというようなパターン。これは母親の言いなりになっていて頭が上がらないというマザコンタイプです。今もむかしも物書き物知らずで、とくに最近の人生経験の薄弱なつまらぬ妄想作家にはステレオタイプ思考が増えてしまって、たとえば母親と同居していたらマザコンなどと決めつけているのはまずアチラさんかソチラさんと見て間違いないでしょう。母親の世話をしているという現実にも、お守り関係が母親への依存と家長としての役割では正反対なわけです。もっと言うなら離れて暮らす母親に電話一本するのにも、母親の声を聞きたくて電話をするのと、母親に声を聴かせてやりたくて電話をするのとでは意識が真逆に違うわけです。
とにもかくにも現時点でこの国の文化・風習の基本のキすら理解できていない者たちによって日本民族はすでに壊されかけているわけです。この先もっと壊され穢されていき、集団移住民を受け入れることで決定的に失われてしまうことでしょう。そして移民のその感覚が欧米白人の個人主義や女性優先思考とは実はまったく別物なのですが、そうとは気づかない人びとの無自覚によって、先進的に見えるものの陰に見え隠れしつつ、次第にこの国を覆いはじめていることを私は危惧しているのです。私の家族に対するものの考え方と姿勢が絶対に正しいなどと主張しているわけではありません。ただ、この国の置かれた現実に慄いているだけなのです。