魅力なき祖国への道 |
私事で走り回っているあいだに入管法(移民法)改正に水道法改正と、矢継ぎ早に意味のわからぬ法案が通過してしまった。国民はみな他人事として考えないほうが良いと思う。政府のいう14の単純労働に、農業、林業、漁業に建設、造船、そして宿泊に介護までが含まれているのだという。この世に誰でも出来る単純労働なんてあるものか。
日本は技術という職人芸で栄えた国ですぞ。緻密で細心であればこそ安全を保てた国ですぞ。対人間でも注意深さと気配りが文化をつくってきた国ですぞ。挙げられた14の職業こそ日本人であればこその職業ではなかったか。
言葉のわからない人たちに介護ができますか。同じ日本人同士でも意志の疎通がはかれない時代に、職業上の強度のストレスで想像もつかない犯罪が多発しているこの時代に、患者や入所者のちょっとした心理の機微を第三世界から来た外国人が敏感に察知できるものでしょうか。
外国人に偏見を持って言っているわけじゃない。互いに不幸になることは避けるべきだと思うだけです。人手が足りないというなら挙げられた職業がなぜ「きつい、汚い、危険」な3K職場などと蔑まれてきたのか。なぜこの国は大変な仕事のほうが給料が安いのか。それは本当に単純な誰にでも出来る職業だったのか。もし本当に単純労働なるものがあるのなら私には政治家稼業ほど単純な労働もないと思えるが。
恐ろしいのは、ほかの法律とちがって一度決まったら取り返しがつかなくなることなのです。集団移民を一旦受け入れたら、法律を変えたから出て行ってくれなどとは人道上絶対に言えなくなることなのです。軍事独裁政権でも樹立されないかぎり。
「進化した生命体は究極的にはロボット的になる可能性が高い」という学者の説がニューズウィークの記事にあった。そうかも知れない。だれが言い出したのか、世に頭脳労働と肉体労働があるところに感情労働というものがあるのだという。しかしその感情じたいがロボット化されるのが近未来なのかも知れない。
先日、80半ばの叔母を見舞いつつ詠む。
≪忘れたか忘れたいのか忘却の忘れられない忘れたくない≫
それが人間というものだった。