節分前に② 僧衣続報 |
僧衣で運転していたことが違反とされた福井の一件で読売新聞に続報があった。最終的に県警が「足元を確認していないので証拠不十分」とみなし、僧侶のもとを訪れ「ご心労をおかけした」と伝えたという。おかしいものはおかしいと言い続けた僧侶は静かな反発運動を全国の僧侶にまで広めたことを称えられるべきと思う。取り敢えずまるく収まって良かった。
福井県警の幹部も今回は大騒ぎになって困ったのではないだろうか。それでも警察は身内意識が強いから、またその意識が強いからこそ組織として機能しているわけだから(それは国民の安全にも直結している)、当初はその警察官を庇わざるを得なかったに違いない。内部でも様々な意見が出ただろうことも想像できる。それでも県警が折れてくれたことは評価されてしかるべきだと思う。
だが、僧侶は「基準が曖昧。何も解決していない」として不満を述べているとか。あまり突き詰めていくと条例だの規定だのが余計に四角四面になっていく可能性があるから深追いはしないほうが良いと思っていたら、都道府県によって運転時の衣服に関する規定が違っていて(知りませんでした)、摘発されていたのは僧衣2件、女性の和服2件の福井県だけだったとのこと。
であるならば反発していた浄土真宗本願寺派だけではなく福井県仏教界と福井県神社庁、県内の呉服店組合のような人たちと共に、首長ら政治関係者を交えて県警本部とザックバランに話し合ってみたら如何だろうか。もしこれが報道の通り福井県内だけの摘発であったならやはり問題があるだろう。日本人が日本の和服を着て運転していたら罰金払わされていたなんて、そんなバカげた話もない。
警官がまだ若く、意気軒昂で、まだ酸いも甘いも解らぬ世代なら仕方ないことだが、当初から私が疑っていたのはその警察官が創価学会員などのカルトではなかったか、という一点に尽きる。彼らが組織的に敵視している相手に対して職責を忘れるほど自己を制御できなくなることは幾つもの実体験から知っている。今回の件も本来なら週刊誌あたりが匂わせてくれるのだけど、警察相手だからか創価学会相手だからか、それともカルトは無関係だったのか、特定せずに終わっている。
ところで、私は基本的にカルト警官以外のお巡りさんに対しては敬意をもって接している。刑事は攻撃するときだけだが、お巡りさんは四六時中とつぜん現れる何かから守らなくてはならないという緊張感が絶えないはずだ。その上で強い攻撃力をも保持せねばならない。ましてや先日もあったがここのところ警察官に対する異常な犯罪が多発している。拳銃を持っている警察官の拳銃を奪おうというのだから昔の極左みたいな感覚なのだろうか。何を考えているか解らない奴の多い、誰にとっても怖い世の中だ。
私たちは何よりも自衛隊や海上保安庁と同様、警察署はもちろん交番があり派出所があり駐在所があり、彼らがパトロールしていることで日々の安全が保たれていることをもっと感謝すべきだろう。その上で、飽くまでもそれを踏まえた上で、礼をもって苦情なり抗議なりをするべきと考える。なに?おまえが言うなって(笑)