頻発する食への冒涜 |
板前をしている友人の家で食事を振る舞われたときのこと。料理が出され酒が入るにつれ、彼の腕は彼の友人たちが陰で評する嫉妬まじりのものとはまったくちがい、本職のつくる肴はどれも美味しく、みそ汁ひとつ取ってもまさに的を射た味というしかなかった。彼ら調理師は「賄い」といって板前仲間に食事をつくり日々鍛えられているから美味しくて当然だったのかも知れない。しかしもっとおどろいたのは彼が席を立ち、トイレから出るたびにそれ専用の石鹸で手首から肘近くまでをじっくり洗っていたことだった。大ではなく小のたびにだ。比較的神経質な私がそれまでずぼらに見えていた彼の衛生観念に、さすがに和食のプロはちがうものだと感心したのだった。
牛丼屋が乱立したそのむかし、某店がお気に入りで牛丼でなく定職をよく食べた。時間帯によってはひとりで注文を受け、ひとりで調理し、ひとりで膳をさげて洗うというワンオペを、まだ若い女子店員がやっていることにマニュアルがあるにせよ大したものだといつも感心していた。しかし調理師の免許は持っていないだろうと、飲食に詳しい知人に訊いてみたところ店舗で代表者が免許を持っていればほかのバイトは講習を受ければよいとのこと(正確な回答か否かは不明)。なるほどと納得し、いつもの店は客の目のまえで調理するから不信や不安を感じたこともなく以降も通った。ただ、子供のころから他人に料理を提供する店はみなそういう免許を持って営業しているのだろうという思い込みの大前提はくずされた。
このところSNSへのフザけた動画投稿が立てつづけに問題になっている。特に生ものをあつかう「くら寿司」の件ではバカバカしい幼稚さに怒りさえ覚える。これらはSNSが発達したからそんな場面を公けに投稿する幼児性が現れたのと同時にSNSがあればこそ明るみにもなったわけで、むかしから「気に入らない客に嫌がらせをする」者が中にまぎれているというのはお水関係からよく聞く話だった。それは嫌がらせであって今回の動画投稿はおフザケなわけだけれど、根底の心理が似たものなのかどうか。いずれにしてもバイトにせよ会社組織に属する者がこれほど不真面目な勤務態度であることの異様さと同時に、食料に関するものを粗末にあつかうというのは「食」に対する冒涜、ひいては人間に対する冒涜に等しく、日本人の我々世代には考えられないことだ。これまでも何度か書いているように、若者の精神年齢が実年齢の7掛けという時代を象徴する出来事ではある。
外食産業花盛りの世の中で、大手は経費を削減するためにほとんど若いアルバイトを使っている。「若い」「アルバイト」で人件費を抑えなければ食事をあれほど安価に提供できないからなのだろうけど、結局こういう風潮になってくると優秀な人材の選択と確保が難しくなるだろう。食、特に生ものをあつかう寿司チェーンなどはかならず大人を配置すべきで、つねに目を光らせて衛生観念に勤めねばならないだろう。ところで若いアルバイトで成立しているのはコンビニもおなじで、実は最近コンビニの店員の態度が平均的にあまりよろしくないと感じることがしばしばだ。どこの店でもバイトをする世代が変わったのだろうかレベルが落ちていると感じるのは私だけだろうか。むかし石原慎太郎先生がおっしゃっていた「コンビニや外食チェーンの深夜営業をやめさせろ」という主張にはあらためて強く賛意を示したい。多少不便でも経済がちょっと失速してもこの国が往年の礼儀と秩序を取り戻すにはそれくらいの大ナタが必要なのだとつくづく思う。
(調理師免許云々の部分での法的な確認は各自がおとりください。極めて少数の読者に向けて全くの無報酬でこのブログを書いているわけで、大新聞社の給料を取りつつ創価活動に励んでいるブンヤ風情のために書いているわけではないので。マスゴミ集ストに関してはまた後日)