人類、そしてアイヌ |
「ひとたびレイシスト(人種主義者)のレッテルを貼られると社会的に葬り去られてしまう」。橘玲著『もっと言ってはいけない』の一節(P34)である。業界から葬り去られて幾星霜の小生が、著者の前作『言ってはいけない』をパワーアップどころかより難解になった今作をようやく読み終えたところで、《アイヌ新法》が国会に提出されるとして賛否の論争が起きている。
「アイヌは先住民」という論を前提とした法制だが、これはまた世界に誤解を与えることになるのではないか。例えばアメリカ大陸やオーストラリア大陸では先住民が大勢住んでいたが、文明の発達したヨーロッパ人が植民したことによって事実上征服される。虐殺し、迫害し、差別政策を行使したヨーロッパ人というのは白人であり、先住民はどれも色の濃淡の差こそあれ我々と同じ有色人種である。資料は数多あれどもたとえば一冊紹介しておきましょう。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス著(岩波文庫)。
欧米豪のリベラルな白人知識層たちは先住民に対する贖罪意識を根底に抱えているといわれる。その彼らが日本にも先住民がいたと知れば自分たちの祖先がしてきたことをすぐさま思い浮かべることだろう。日本人にも贖罪意識を共有しろということになる。折りしも南朝鮮とシナのプロパガンダによって日本悪者論が世界を席巻している最中なのだ。だが、アイヌは一原住民であっても絶滅や絶滅寸前の先住民ではないし、人種も肌の色も我々と同じモンゴロイドでそもそもが日本人なのだ。少数者への差別も迫害も大なり小なりあっただろうけど、南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸のようなジェノサイド(大量虐殺)やハンティングの対象ではあり得なかった。
何故なら、アイヌというのは日本列島原住民の一部族であり、未だ断定はできないが我々大和民族の片方の祖先に極めて近い血を持った人びとであろうからだ。少しまえの新聞広告で大川周明の『日本二千六百年史』(毎日ワンズ)が復刊されているようで、「日本列島はアイヌの土地だった」と宣伝文があったが、なにせ昭和14年の書籍であるし今回の版元が版元なのでそこまで極端ではないにせよ、アイヌが原住民の一部族であったことは間違いないだろう。
民族とは風習など同じ文化を共有していることを言うはずだ。渡来人と数百年かけて徐々に混血していったヤマト民族に対して、琉球もアイヌも一部族というよりも風習にせよ信仰にせよ異なる文化を近年まで持ち続けていたから、本物のアイヌの人びとがアイヌとして生きていきたいとか、固有の文化を子孫に引き継ぎたいというならアイヌ民族という呼称があってもいいのではないかと思う。無論、大枠の日本民族のなかの大和民族でありアイヌ民族であることは当然だけれど。
今回論争になっている法制化においてアイヌ文化を守るために国家が賛助することには賛成だが、公的扶助や利権を与えることには大反対である。古今東西を俯瞰すればかならず堕落して新たな差別と逆差別を生む温床となるからだ。そしてアイヌとは関係性のない在日朝鮮人が運動に関わっていた事実は深く憂慮すべきだろう。『アイヌの世界』(講談社選書メチエ)の中でアイヌ研究者の瀬川拓郎札幌大教授は、「アイヌを自然との共生というイメージで語ることは危険で、狩猟採集民であると同時に古代からの交易民であり、交易品の生産の意味が強く、農業、馬飼い、鍛冶職人などさまざまで、アイヌ=負というステレオタイプは間違い」(筆者要約)と語っている。本土と隔絶して没交渉だった人びとではなく、充分な交流を持ってはいたものの我々の祖先よりおそらく数百年混血化が遅かったということではないのだろうか。
ただ、瀬川氏はアイヌの源流を古代のシナ北部や半島北部に求めているが、本当だろうか。専門の研究者に対して素人ながらまったく腑に落ちない。残念なことにこれまでアイヌと面識のない小生だが、多くの書物に書かれたアイヌの特徴である中長頭でウェーブのかかった多毛など大和民族にはかなりいるが、あの地域にはまず居ないのではないか。瀬川氏が今回の法制化をどう考えているのか判らないが、基本的には昭和14年の大川周明のほうが当たらずも遠からじの感を受ける。無論大川論が江上波夫らによる騎馬民族征服説、要するに日本列島の構成民族がそっくり入れ替わったという『置換説』と同様であろうから受け容れられるものではないが。
冒頭の『もっと言ってはいけない』にもどる。これまでの、アフリカでたったひとりの女性からホモ・サピエンス(ヒト科ヒト)が誕生し、出アフリカを経て世界中に分散していったという通説から、近年になってサピエンスがユーラシア大陸でネアンデルタール人と実に1万年以上にわたって棲んでいたという話は小生も近年になって理系の友人から聞かされていた。サピエンスの顎の発達とネアンデルタールの未発達を視ると、言葉を駆使できたサピエンスが仲間と共に体の大きなネアンデルタール人を狩り、最終的には食べてしまって絶滅させたということも。であるなら黒人女性から発生したサピエンスが土地それぞれの気候変動や特殊変異によって黄色人や白色人になっていったというこれまでの説よりも説得力があるのかも知れない。
著者もまたその辺りのことを、「サピエンスもまたユーラシアで誕生した」とした遺伝学者ライクの新説をもとにこう記している。ネアンデルタール人に圧迫されたサピエンスがユーラシアから中東に押し込められ、さらに押しやられて30万年前に北アフリカや東アフリカまで撤退した。そこで著者の仮説として以下原文P119から「アフリカに逃げ延びた30万年前から«出アフリカ»の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高い知能とコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑しながら、他の人類を絶滅させていったのかもしれない」と。つまり、それが我々の祖先であると。
30万年前から5万年前の25万年間のあいだに我々の遥かな、そしてまた遥かな祖先たちは……。なんという長大なスパンだろう。仮説にしても実におもしろいではないか。著者のネトウヨに対する批判や侮蔑は典型的なステレオタイプに過ぎず、前作によってレイシストだと批判されたであろうからそれへのアリバイ作りとも思えるが、興味深かった部分を以下P193から要約する。近年のDNA解析で日本列島の人口が3000年前から4000年前に急減している可能性があり、縄文時代の最盛期に30万人だった人口が8万人にまで減っているとしたうえで、記紀神話で繰り返し語られる天津神による国津神の征伐が、以下P194原文から「弥生人の«ジェノサイド»によって縄文人の男は皆殺しにされ、女は犯され混血が進んだのだ。」と、仮説を打ち立てている。つまり否定されてずいぶん年月が過ぎている『置換説』をここでふたたび復活させたというわけである。
著者はこれほどまでに知能に関する書物を著されるのだから高い知能をお持ちなのであろうが、とかく自称知識層やリベラル歴史学者は初代神武天皇から15代応神天皇までの実在を疑い、あるいは記紀に書かれている神話の実際の時代を下げることに熱心であるのに、著者はそこだけ記紀を史実として時代をずいぶん遡られているようだ。そこに説明がないことに少なからぬ矛盾を感じてしまう。
また著者がさかんに指摘するIQ(知能指数)に関しても、IQはもちろん大事な要素なのだけど、それに伴ったEQ=(精神性の指数)に関する論に純理系であろう著者が触れていないのはEQに未だ学問的な裏付けがないからなのだろう。しかしIQの高さに伴ったEQの高さこそが人類の発展に役立って来た、あるいはこれからも役立つ、ような気がしているのである。この本の中に書かれている日本人の平均知能指数より韓国人の平均のほうが高いというデータに関しても韓国人によるデータ捏造を指摘する声など侃々諤々の批判があるが、意地汚いことは知能が高いからだとすれば納得がいくものだろうし、あの人はあれほど頭がいいのに何故あれほどまでに幼稚なのか、という問いに対する答えもこのブログの読者ならもうご理解いただけるのではないだろうか。平均的な精神性の指数は格段に日本人のほうが高いことは世界中の多くがご存知だろうと思えるのである。あるいはアイヌ民族はいる、いない、といった議論もおもしろいが、もし「俺はアイヌだ」と誇れる人がいたならば最大限尊重したいと思うことこそEQを顕すのではないだろか。もし誇り高きアイヌ民族がいればの話ではあるけれど。
執筆後記
朝からこれを書いている最中にまたNHKが来た。無いと言っているのにまったくしつこい連中だ。時間を見たら12時半過ぎ、たけしのTVタックルを放映している時間か、なるほどね。それと金曜夜にNTTに電話してパソコンでTVが観れないかと尋ね、ドコモに電話してタブレットでTVが観れないかと尋ね、どちらも「観れません」と応えられたのを盗み聴いていたわけだな。騒げば妄想だの考えすぎだのと周囲が言うことは解っているから言わぬが、偶然を装ったこんなこと年がら年中である。NHK氏、案の定わが家の前からバイクでまっすぐお帰りになったとさ。